さくらのにっき。

仕事のこと。日々のこと。自分についての分析など。娘のこともときどき。でもたまにしか書きません。

小さい頃の事。

小さい頃から、とても我儘ではあったが、自分の意見を持つということがあまりなかった気がしている。

 それと、異様に『普通』にこだわっていた。

 

親に「あなたは『カラスは白い色だよ』と言われたら

普通なら『そんなわけないじゃん、カラスは誰がどう見ても黒じゃん』と言う所を、

あれ?と思ったとしても

『あ~そうか~カラスは白なのか~自分が間違ってたのか~』って納得しちゃうような子だった、と言われたっけ。

 

良く言えば 素直

 

 

「普通」とか「みんなと同じ」を気にしすぎていた。

大人に気にかけてほしいけど、目立つことが嫌だった。

私なんか、っていつも思ってた。

 

いつだったか、小学校の頃、社会科見学でパン工場に行く日があった。

 

その日は一日社会科見学で、ランドセルだと動きづらいからリュックで来るようにと言われていたのだが、すっかり忘れて私はランドセルで登校してしまった。

学校に着くと皆リュック。

先生に「(私)さん、ランドセルじゃなくてリュックで来てねって言ったでしょ」とみんなの前で言われ恥ずかしさでパニックになった私は、こっそり学校を抜け出して家にリュックを取りに戻った。

学区のはずれに住んでいたのでバス通学で片道40分近くかかるから、取りに帰ったら完全に間に合わないのに、みんなと違うことが我慢できなくて、勝手に帰ってしまった。

先生は別にリュックじゃなきゃダメだよ、とも、取りに帰れとも言っていないのに。

見学用の貸切バスにクラスの児童を乗せて点呼をしたらランドセルで来た私がいないことが分かった時、先生は慌てただろうと思う。

申し訳ない。

でもそのくらい、みんなと違うことが恥ずかしかった。

一人でランドセルを背負って、「間違えちゃったんだ~」ってお友達と笑い合えば良かったのに、勝手に取りに帰って皆と一緒にバスに乗れないことの方が恥ずかしいような気もするのに、そんなことも考えられなかった。

ランドセルで来てしまったことをなかったことにしたかったから帰ったんだと思う。

私が家に帰りつく前に先生から母に連絡が行っており、バスに乗って帰ってきた私を母が怒りながらランドセルからリュックに換えてくれ、結局、見学予定のパン工場まで超ダッシュで送ってくれて、みんなと同じように見学できた覚えがある。

 

こんなに『普通』じゃなきゃダメだ、と思わせたのはなんだったんだろう。

 

今も油断すると『普通じゃなきゃダメ』という思考に辿り着いてしまって悩まされる。